江戸時代の日本に暮らしていた人々の食事は、現代に暮らす我々よりも多様性が高かったことを示す研究結果が報告された。しかし縄文人に比べると、江戸時代でも多様性は低下していたと考えられるという。食物の生産と流通の発展という文明化で、食の均質化が進むことが背景にあるとのことだ。総合研究大学院大学の研究グループによる研究であり、日本人類学会の「Anthropological Science」に論文が掲載されるとともに、同大学院のサイトにプレスリリースが掲載された。
研究概要:江戸時代の食の均質性はどのくらい?
食物の生産が工業化され流通網が発達することで、現代人の食は均質化(集団間や集団内でどの人も同じような食物を摂取するようになる)した。しかし、記録の残っていない過去の社会で、食がどの程度均質化していたかは不明。江戸時代は、農業などの食物生産が効率化して全国的な流通網が発達し、和食文化の基礎が形づくられた時代。この研究では、こうした江戸時代の人びとの食がどの程度均質化していたのかを、縄文時代や現代のデータセットと比較した。
比較に用いたのは食物摂取の指標となる安定同位体の値で、これまでに報告された数百以上の個体についてのデータをメタ解析した。その結果、個人間や集団間を比較した際、江戸時代には縄文時代ほどの食の多様性は見られなかったものの、現代の日本よりはずっと多様性があったことがわかった。江戸時代の食が縄文時代より均質化していた背景には、現代ほどではないにせよ、発達した食物生産と流通網に加え、四足動物の肉食を禁じる仏教の教えがあったと考えられる。時代や地域を俯瞰的に比較することで、過去の食の特徴や変化をより明確に理解することが可能になる。
研究の背景:日本食はどのように形づくられてきたのかを探る
食物の生産が工業化され流通網が発達することで、人間の食は均質化することがわかっている。例えば現代の日本では、郷土食などはいまだ見られるものの、日常的にはどの地域でも多くの人が米や小麦を主食とし、ブタやウシなどの家畜、近海で採れた魚介類をタンパク質源とし、スーパーに並ぶような野菜や果物を食べている。しかし、ヒトの進化の数万年以上の時間軸を考えると、食に関するグローバルな産業が発達したのはごく最近のこと。人間が生きるために必須の「食」という営みを生物学的な観点からも理解するためには、食物生産が工業化される以前のヒトの食の実態がどうであったかを復元し、その実態が進化や歴史の時間軸に沿ってどう変化してきたのかを明らかにする必要がある。食べられていた食物の内容や構成には、どの程度の地域差や個体差があり、それは時代によってどの程度異なったのだろうか?
こうした食の実態を調べる手法の一つとして、安定同位体分析がある。安定同位体とは、炭素や窒素といった元素において重さが通常とは異なる原子のこと。この重さの異なる原子が試料中にどのくらい存在するかを調べて比較することで、ある生物がどのような食資源をどのくらいの割合で食べて生きているかを定量的に推定できる。
この手法は、現在生きている個体のほか、ずっと昔に亡くなって骨になった過去の個体に対しても適用可能。そのため、安定同位体分析によって、縄文時代や江戸時代に生きていたヒトがどのような食物をどのくらいの割合で摂取していたかを調べる研究がこれまで数多くなされてきた。とは言え、多くの安定同位体分析で摂取割合を推定できるのは食物の大きなカテゴリーまでで、細かい品目までは推定できない。しかし、タイムマシンがなければ食事調査を実施することもできないくらい昔のヒトが、陸上動物、海産物、大部分の植物などという大きなくくりで、どのような食資源をどのような割合で摂取していたかを、個体ごとに復元できる強力な手法。
安定同位体分析が考古学や人類学の研究に応用され始めて、すでに40年以上が経過した。そのあいだに蓄積されたデータ量は膨大で、世界中のさまざまな地域のさまざまな時代の古人骨について、食性の指標となる安定同位体のデータが報告されている。近年、そうした大規模データを俯瞰的に解析するメタ解析の研究がなされるようになってきた。こうした研究によって、ヒトの食性の時代変化や地域差を共通の基準で定量的に調べることが可能になる。
そうした潮流のなかで、本研究は、日本の古人骨の安定同位体比について、最も多くの個体のデータが蓄積されている江戸時代を対象にしてメタ解析を実施し、食の均質化に関する特徴を明らかにした。江戸時代は、現代ほどではないにせよ、農業などの食物生産が効率化し全国的な流通網が発達した時代。そして、ユネスコの文化遺産にも登録されている和食の基礎が形作られた時代でもある。このような時代にも現代で見られるような食の均質化が起こっていたのか、つまり、個人や地域間で食の内容が同じようになっていたのかを調べることを目的とした。
研究の内容:縄文時代は同じ遺跡内でも全く違うものを食べていた
日本列島のうち琉球と北海道を除く地域を本研究の対象とした。先行研究で報告されたデータを集成し、江戸時代の古人骨(15歳以上の成人)318個体の炭素・窒素安定同位体に関するデータを集めることができた。この江戸時代のデータセットと、すでに報告されている縄文時代の古人骨(342個体)、および現代人の毛髪(922個体)の安定同位体データを比較し、縄文時代、江戸時代、現代の食が、地域間および個人間でどの程度均質化していたかを調べた。
データ解析の結果、江戸時代は現代と縄文時代の中間くらいの食の均質化を経験していたことがわかった。三つのデータセットの比較からは、以下が明らかになった(図1)。
- 現代人では安定同位体の値の地域差や個人差が非常に小さく、食の内容がどこでも誰でも同じようになっていた。つまり、数カ月から数年間程度の食の内容を平均してみれば、肉、穀物、魚介類などの摂取割合は、誰でもたいてい同じようになっていたということ。
- 縄文時代では安定同位体の値の地域差や個人差が非常に大きく、同じ遺跡のなかですら、極端に違う食を常習的に示していた個体がいた。これは、例えば、ほぼすべてのタンパク質を海産物から得ていた地域や個体があった一方、ほぼすべてのタンパク質を陸上の食物から得ていた地域や個体があり、その両極端のあいだのグラデーションのどこかに位置する地域や個体もさまざまに存在したということ。
- 江戸時代では安定同位体の値の地域差や個人差が縄文時代よりも縮小している一方、多くの場合現代ほどの縮小ではなかった。つまり、江戸時代の食は現代ほどではないものの、ある程度は均質化していたということ。
図1 縄文時代、江戸時代、現代の琉球と北海道を除くヒトの安定同位体の値の比較
北海道と琉球を除く江戸時代の日本列島で人間の食がある程度均質化していた理由として、文化的な要因が考えられる。大きな要因は、現代ほどではないにせよ発達した食物生産と流通網の影響である。気候や生態の多様な日本列島では、自然から得られる食物のみを食べていた場合、食の内容は地域や狩猟採取技術ごとに大きな違いが生じると予想される。しかし、江戸時代には米や大根などある程度共通の栽培食物が人々の口に入り、地方でのみ生産される食物も全国的な流通網を通じて別な地域に運ばれるようになった。その結果、グローバルな均質化とローカルな多様性の両方が影響し、食の内容の均質性が中程度になったと考えられる。また、江戸時代には四足動物の肉食を禁じる仏教の教えの影響を受けて全般的に肉食が低調になったことも、摂取可能な食資源のレパートリーを一つ減らしたという点で、食の均質性を高める働きをしたかもしれない。
そのほか本研究では、江戸時代において、施肥または水田稲作が、縄文時代には存在しなかった安定同位体の値(炭素同位体の値が低く、窒素同位体の値が高い)を示す個体を生じさせたことを示唆した。また、江戸時代の東北の一部の集団ではヒエやキビなどの雑穀が比較的よく摂取されており、そうした傾向は縄文時代全般には見られなかったことも示した。時代や地域を俯瞰的に比較することで、先行研究で示唆されていた食の傾向をより明確に理解することが可能になった。
今後の展望
和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、食は文化的にも顕著な価値を有している。そうした食がどのようにして現在の形になってきたかという歴史的・考古学的背景を調べることによって、食文化に対する多面的な理解が深まる。
食文化は文献に記されたレシピや豪華な饗宴にだけ存在するものではなく、庶民の生活を支える毎日の食事にこそ真髄があると言えるかもしれない。そうした点で、歴史文献に記されることもなかったたくさんの庶民が実際に食べていた食物の構成を復元できる安定同位体分析は、食の歴史をボトムアップで明らかにするための独自性の高い手法。
今後、こうした手法をさらにさまざまな時代や地域に応用し、得られたデータを統合的に解析することで、食を通じて人類史を解明していくことができると考えられる。
プレスリリース
文献情報
原題のタイトルは、「Human diet of premodern mainland Japan: a meta-analysis of carbon and nitrogen stable isotope ratios」。〔Anthropological Science. 2023 Dec 15〕
原文はこちら(J-STAGE)
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